孤独の離脱(6)
一話 自分からの離脱(6)
昨日は結局寝れなかった。沙希は「明日早いから」といって早々に床についていたけど、僕はどうしても眠れず、寝たのは一時間とかそんなもんだった。
「じゃあ、いってくるね」
沙希は僕を揺り起こしてそういった。まだ日は昇っていない、真っ暗な部屋の中で沙希の輪郭はぼんやりとしていた。
「待って」
「でも、もう行くことは決まってるから」
「そこら辺まで送っていきたい」
「そう……じゃあ、おねがい」
彼女はもう持ち主が帰ってくるかも解らない部屋の戸締まりをする。それなら、また戻ってくるのだろうか。それとも、ただの習慣か。
「もう戻ってこないかもしれないから、鍵はあげるよ。部屋も好きにしていいから」
「でも……」
「戻ってきたとき返してくれればいいよ。ただ持っててくれるだけでいいから」
「……じゃあ預かるだけね」
昨日からの雪はまだ降り続けていた。雪の降っている夜は明るい。近くの国道からの光を反射しているのか、空はうすらぼんやりと赤く発光しているように見える。
僕たちは薄暗い街を黙々と歩く。まだ誰ともすれ違っていない。こんな時間なのだから当然だけど。
「あのね……」
ずっと黙っていた彼女が口を開く。もしかしたらやっぱり行くのをやめる、なんていってくれるんじゃないかと期待している。そんなことはないって自分でも充分わかっているのに。
「魔法、練習したんだ……」
「……うん」
本当に、魔法使いになってしまったんだ。沙希の魔法は何度も見ているからそんなことは解っているはずなのに、それでも魔法と聞くと変な気になってしまう。それは魔法が一般的じゃないから、というのもあるけど、魔法のせいでこんなことになってしまったんだって憎むような気持ちもある。
「前に、いつか魔法を見せてっていったよね。だから、楽しみにしてて」
僕はそれを本当に楽しみにできるのだろうか。せっかく練習したといっているのだから見てみたいけど、それでも魔法を許容できるかは解らない。
「空を飛ぶ魔法は?」
「もっとすごいのだよ。一生目に焼き付けとくといいよ」
沙希は僕が魔法をあんまり好いていないということを知らないし、僕も沙希が今どんなことを考えているのか知らない。別に知る必要なんてないものかもしれないけど、知りたいと思うし、理解して欲しいと思ってしまう。
「わかった」
だから僕はそんな返事をした。それは理解されることの拒否じゃなくて、でもただの諦めでもない。それぐらいが丁度いいと思うからだ。
それきり会話はとぎれてしまって僕たちはまた黙々と歩く。
「コンビニよっていこうか」
思い出したように沙希は呟く。本当にただのつぶやきで、そこに同意を求めるような色はなかった。
そこで彼女は温かい飲み物だけ買って、僕もコーヒーだけを買った。
それをすすりながらまた歩く。
何も喋らないで、僕はただ昔のことを考えていた。
それは沙希とすごした時間のことと出来事のことだけじゃなくて、僕がひとりでいたときのことや、子供の頃のこともだ。
それらはわざわざ思い出すほどのことじゃないように思えた。なんとなく、全部ずっと昔のこととというような感じで、今の自分からは遠く離れていて、意味をなさないような感じだ。
もしかして僕は、沙希と離れてしまうことで孤独になろうとしているのかもしれない。
唯一、ひとりになることを決心させなかった理由だからだ。
沙希がいないのなら、僕はひとりでもかまわない。
それは自分でも短絡的だと思う。これから生きていく中で、僕にとって沙希の変わりになる人が現れないとはいえない。だから、別に、これは特別なことじゃない。まだ次があることだ。客観的に考えるとそうなるけど、やっぱり今ここにいる僕にとって沙希は特別だ。
そして、今の時間は特別な時間で、もう少ししたら沙希は僕の目の前からいなくなってしまう。
また戻ってくるかもしれないと少しの希望は残っているけどそれもどうだか判らない。
その希望にすがっていれば、いつまでも生きていられるかもしれない。誰かを待つこともしないで、目の前を見ないでどこか遠いところを見ているかもしれない。そうしていたら、僕の前を横切っていくたくさんの誰かや何かを見過ごしていくだろう
だけど、そうして待ちながら生きていたら僕は孤独になれない。
あの星のある場所に行けない。
空は厚い雲に覆われていて星は見えないけど、そのうえで星はまたたいているはずだ。
真白い光を放ち続けているはずだ。
それなのに、僕のいるところは澱みきっている。
そんなことは解っている。僕はどうすることもできない。世界を変えることなんて無理だ。それこそ魔法でも使わない限り。だけど、その澱んだ場所をあとにして、どこか別のところに行くことはできる。だから、僕はそうする。
いつの間にか昔のことは考えていなかった。考えていたのはこれからのことだった。
だけど、これからなんてあるのか?
それはそのときが来ないと決まらない。
いくら考えたって、いろいろと未来の時間のことを考えたって、そのときが来てしまえばそこにある事実に全部覆されてしまう。
「じゃあ、ここまでね」
「えっ?」
彼女はそこで歩くのをやめて、こちらを向いていた。
「これからはひとりで行くよ」
「……そう」
ここで終わりなのか。
僕はここで終わるのか?
そのときが来るのはもう少し後になる。だから、今いろいろ考えたって意味ない。
目の前の沙希をみる。
「ごめんね……」
「何が?」
「わたしが魔法使いにならなかったら、ずっと一緒にいられたのにね」
「自分でなったの?」
「わからない。いつの間にかなってた」
「ならいいよ……」
喋っている間にも雪は降り続けていて、彼女の頭や肩の上に積もっていく。
もう一緒にいられる時間は残り少ない。なら、いうこととか、いわなくちゃいけないこととかあるんじゃないかと思って探してみるけど、何も見つからない。「頑張って」とか、そういうその場によくある言葉は思いつくけど、そのどれもは僕の心を表すのに適切じゃない。
何もいわなくてもいいのかもしれない。
くだらない言葉とかはいらないんだ。言葉なんていくつ重ねても伝わらないから、本当に大切なものなら口にしないほうがいい。
つないだ手ももうすぐ離れてしまう。それは単純に距離によるものでもあるし、立場の違いでもある。
「許してくれるの?」
「最初から怒ったりなんてしてない」
「よかった」
そういうものなんだ。運命とか必然とかじゃなくて、ただ、そういうもの。沙希が魔法使いになって、魔法使いになったなら、こうやって違うところにいってしまう。それはごくごく普通のことで、生まれた人間がいつか死んでしまうみたいに、当然の流れなんだ。だからといって、それが嫌じゃないなんていえないけど。もちろんそんなことを沙希にいったりはしない。
「じゃあ、もう行くから」
沙希は右手を挙げて何事かを考えるような表情をしている。魔法を使うのだろう。
「練習したんだよ。ちゃんと見ててね」
手袋の手から火花と煙があふれる。火花は空へと駆け、煙があたりを包む。
頭の上の遠いところで何かが爆発したようで、分厚い雲に穴が開く。
「ほら、青空が見えるでしょ」
そういう沙希の姿を探すけど、煙に阻まれて見えない。
「朝焼けの時間だよ」
その通りで、日が昇り始めたばかりの空は白と青の混ざったまばゆい色をしている。
それをまぶしいと思い、目をすがめようとするけどそれはしなかった。
「もう、行かなくちゃいけないから」
「……待って」
最後に一度だけでも姿を見たい。
「ううん」
煙が濃くなり、それに比例するように空の青い部分が増えていく。雲はなくなった。
「行かなくちゃいけないんだ。今ならいけそうな気がするから」
「…………」
「とっても気分がいいんだ。今ならなんでもできそうな気がする」
なら、僕は見送らなくちゃいけない。
沙希にとって、今行くのが一番いいのだろう。それを僕のエゴで汚しちゃいけない。
「だから、さよなら」
「……行ってらっしゃい」
この言葉はいえた。「頑張って」とかそんなことはいえないけど、送るための言葉はいえた。それは心からの言葉で、きっと本当に思っていることに近いものだ。やっぱり、思っていることを正確に表してはくれないけど、割と近いところだ。
「いってきます」
何かが弾けるような大きな音がして、声は聞こえなくなった。
「…………」
僕は何も考えないまま立ち尽くしていた。
少しすると煙が晴れた。そこに沙希はいなかった。
「ふぅ……」
すごく疲れた気がする。空を仰ぐと、山の方に朝日が見えた。稜線から半分だけ顔を出して空にグラデーションを作っている。橙から黄色へ、白、青、藍へと。僕の向いている方からずっと向こうの方まで続く空へと。
「帰ろう」
沙希はもう行ってしまった。僕がこれからどうするかは決まっていない。
とりあえずは、家に帰って眠ろう。
そう決めて歩き出す。
僕の前から消えてしまった彼女も歩いているのだろうか。それとも、空を飛んでいるのかもしれない。そんなことはどうでもいいけど。沙希は沙希なりにもう生きているのだろう。僕のとは違う道のどこかで。
さようなら。僕は歩き出す。