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Feb 4

孤独の離脱(3)

一話 自分からの離脱(3)

冬休みは終わった。
制服に袖を通すのも久しぶりだ。今日からまた辛い生活に戻る。覚悟は何日か前からしているけど、だからといって辛くなくなるなんてことはない。
「はぁ……」
憂鬱だ。鬱屈とはしていない。気が重いだけだ。
制服にはすでに着替え終わっていて、あとはコートを着込むだけだ。朝食も摂らないから朝の準備に時間がかかるなんてことはない。
安物のコートは重く湿気っているみたいで、気持ちまでまた重くさせられる。沈降した気分をさらに辛くさせられる。胃が痛くなりそうだ。
「さよなら」
なににさよならしてるのかわからないけど、そんな言葉が口からついこぼれた。部屋の暖房を落として、もう出かけることにする。いつもより少し早い、いる時間ものその分長くなる。だけど、気がふさいでしまうような部屋でじっとしているよりは、外に出ているほうがいい。そうだ、その分だけ、ゆっくり歩いていけばいいんだ。
本当に、もう、さようなら。温かい部屋に冬休みの面影でも見ているのかもしれない。帰ってくる頃、部屋はしっかりと冷蔵されて、もう、温かさのかけらもなくなっているだろう。

外は寒い。冬なんだから当たり前だ。冬の長い地方にずっと住んでいる。だから、暖かい夏のことなんて、真冬のこの時期には忘れかけている。ほんの一瞬の夏のことなんて覚えていられない。それは自分の頭がよわいだけだけどさ。
「ねぇ、学校行くのやめない?」
「そうだね」沙希が返事をしてくれる。
ふたりで手を取り合って生きている。べつに、本当に手をつないでいる訳じゃない。恥ずかしいし。部屋はもう冷まされているだろうか。
「夏ってどんな感じだっけ?」
「蝉が鳴いててうるさい。汗かいてうっとうしい感じ」
暖房を落としてから、もう三十分ぐらい経っているだろう。いまは、学校の最寄り駅の、改札を出たところにいる。ここから学校まで、歩いて七分ぐらいだ。三十七分で部屋はどれほどまで冷まされてしまうのだろう。熱平衡をするのにはいつまでかかるのだろう。
「そんな感じだっけ?」
「ちがった?」
あぁ、またろくでもないことを考えているな。
部屋だって、一時間もしないで冷めたりはしない。もう少し待ってくれる。だけど、僕が帰ってくる頃じゃ遅すぎる。
「わかんない。夏なんて昔過ぎて覚えてないよ」
「人生の中で何回体験した? もう何度も何度も経験してるんだから覚えてたっていいじゃない」
「そうかもね」
我慢ならない、かもしれない。これも適切じゃない。自分の心を言い当てる言葉をもてたことなんてないし、これからもきっとない。言葉はやっぱり貧弱すぎるし、いつでも誤解を与える脆弱なものだ。
「それに君はあんまり夏って感じがしないしね。冬みたいに冷たいし、凍ってるよ」
「おせっかいだね」
「うん。わざとだよ。けど君はそんなこと気にしないんでしょ」
「そうだね」
別に達観してる、なんて自負はしてない。ただ、そう思われやすい。それを不本意だと思うこともないから、否定しない。だから余計にそう思われる。別にそれはかまわない。僕の右手は沙希の左手につながれていて、指先の皮の下を伝う血液の流れを感じることもできる。沙希もそれを感じたりしてくれるだろうか。僕の内側を伝う血の巡りを。ふれているのは手のひらと指だけで、体全体から見たらほんの小さな部分だけど。
「やっぱり、学校行きたくない」
「だだをこねる子供みたいだね」
「沙希よりは子供だよ」
「それは歳の上での話?」
「両方で」
沙希といながら、ふれていながら僕は部屋のことなんて気にしている。あれは僕の部屋だけど、僕ではない。家も、僕のものではない。よく使っているだけで、お気に入りのシャーペンと大差ない。だから、なくしたら少しかなしいけど、やっぱりなくてもなんとかなるだろう。そんなことよりもいま目の前にいる彼女のことに集中しないといけない。
「ねぇ、やっぱり学校行きたくないって」
「じゃあ、今日は休む?」
「休みたい」
「そっか。じゃあ、休んじゃおう」
めでたく沙希の了承も得られた。こんなことがいままで何度もあった。僕が学校に行きたくないと駄々をこねて、そのたびに沙希を休ませてしまう。彼女はそれを気にしていないようだけど、それでも申し訳なく思ってしまう。
「じゃあ、何か食べに行こう。朝食べてないし」
「うん」
僕は笑って応える。
そうしたらこんどは僕たちと同じ制服を着た人の流れを逆走する。さようなら。少し気持ちのいい瞬間だ。

朝のこの時間のハンバーガー屋は人がまばらだ。
「なんか申し訳ない気分にさせられるね」
ここは近くに会社や店が集まってるなんてこともないし、僕たちの住んでいることろよりは都会だけど、やっぱりどっちもどっち、って感じだ。ここよりも田舎にあった僕たちの元いた学校はなくなってしまって、新しい学校に行くことになったけど、少し通いづらい。でも、そのほかは何も変わっていない。
「風邪で学校休んだときみたいな気分だよ」
「そんなこと思うんだ」
意外だ。むしろ休めて嬉しいぐらいの気持ちだった。
「なんていうか、後ろめたいような気になるよ。みんなは学校で勉強してるのに、わたしだけ休んでると」
「ふぅん……」
やっぱりよくわからない。風邪で休んでも、ずる休みをしても、休みは休みで、土日と変わりないと思う。
「まぁいいや。わかってくれるとは思ってなかったし。これからどうする?」
「そうだね……」
今日は始業式で学校はすぐ終わってしまう。午後から行くなんてこともできないから、このまま帰ってもいいんだけど、帰ったらどうしようか。
「うちに行かない?」
部屋が冷める前に暖房をつけないといけない。部屋が冷めきってしまわないかと心配でしかたがない。
「そうしようかな」
なら早く食べかけのハンバーガーを胃にしまって、帰らないといけない。
「じゃ、早く行こう」
「もう少しゆっくりしていかないの? 外寒いし」
「うちの方が暖かいよ」
そんなにうちに帰りたいのかと自分でもおかしい。
「それとこれとは関係ないって」
別に、早く帰って暖房をつけたからといって、部屋を冷まさなかったからといって冬休みが続く訳じゃない。そんなことはわかっているけど、僕はあの部屋に感情移入でもしているみたいだった。バカみたいだ。
「でも早く帰りたいんだよ」
バカなのはわかっているのに歯止めがきかない。どうしようもないな。
「ふぅん……じゃあ早くするよ」
「ありがと」

ただいま。ただいま。
「部屋、寒いね」
「そう?」
家を出たときほどではないけど、まだ、外よりは暖かいはずだ。
だから、まだ大丈夫なはずなんだけど、沙希の言葉に動揺して慌てて暖房をつけた。
「じゃあ、コーヒーでも淹れてくるから」
「悪いね」


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